第140回リーク「2018年10月27日のこと」
創聖のアクエリオン主題歌のサビ歌詞『一万年と二千年前から愛してる』って、今さらですけど滅茶苦茶スゴイ歌詞じゃないですか?ブーマンです。
前回のリーク記事の中で“お好み焼き”という言葉を使ったのですが、その更新日に「なんかお好み焼き関連で書こうしてたことあったよなー」という覚えが記憶の彼方から蘇りました。
いろいろ考えたのですが全く思い出せず、その日はとりあえず就寝。
翌朝、起きたと同時に思いだしました。
「トーキョー・タナカがお好み焼きを焼いている写真を撮った覚えがある!!」
というわけで今回は2018年10月27日の出来事をレポさせていただきます!!
※“お前はいつのレポをしてるんだよ!”というご意見がある方は、その意見を胸にしまっていただけると幸いです。
第132回リークでCTHツアーの富山編(2018/10/18)をお伝えしましたが、当時を振り返りますと、その後狼さん達は10/22奈良、10/24佐賀とLIVEを行い、10/25はタナカ氏が西日本DJ大作戦@岡山に出演、10/26岡山LIVEというスケジュールでした。
そして10月27日。
タナカ氏が岡山県倉敷市真備町へ地域の方々やボランティアスタッフさん達への炊き出しに参加するとのことで、私も同行させていただきました。
午前8時頃に現地に到着。炊き出し会場は子供の学び場「ホハル」さんに到着。ラコスバーガーのRaccoさん達と炊き出しの設営。
準備終了後は炊き出しまで時間があるので、ボランティア活動へ。近所のお年寄りの方々の家に行き、困っていることはないか?などお話を聞いてまわりました。
<高台で被害を免れた神社。この日唯一撮った真備町の景色。>
私は真備町に行ったことがなく、ちゃんとその現状を自分の目で見たいと考え、タナカ氏に同行したのですが、想像以上に町は傷ついていました。
この日は天気も良く、暖かく、穏やかな風が吹いてる気候でした。
綺麗な空や緑に囲まれて、被災した沢山の家屋が存在する風景に、私は戸惑いました。
その風景は地震災害とは違った惨状を見せていて、『そこに人がいた』ということが明確に伝わってきます。遠目に見ると無事に形を残しているのに近くで見ると1階は浸水被害で滅茶苦茶になっている住宅が多くあり、その様は『人が忽然と消えてしまった世界』を私に錯覚させていました。
何回も災害地域に行った経験があったため、私のなかで“現状を冷静に見ることができる”という自信がありました。しかし、それは思い上がりだったということを真備町の風景は教えてくれました。
そして、その風景を私の技量では写真に収めることができませんでした。カメラを構えることすらできませんでした。
このような被災状況を復興すべく活動しているタナカ氏、ボランティア活動をしている方々、そしてそれを伝えるためにカメラのシャッターを切り続ける石井麻木さんを改めて尊敬しました。
『自分のできることをできる範囲で』というタナカ氏が発信している言葉は、前向きに受け取るべきなのですが、この日の私には重く、後ろ向きな言葉に感じました。前向きな言葉に釣られて『できること』や『できる範囲』について自分は考えていなかったのではないかと。
午前11時。昼食の準備時間になったため炊き出し会場に戻ってお手伝いを開始。この日のメニューは“お好み焼きバーガー”。その名のとおりハンバーガーにお好み焼きが入ったもの。
こちらが冒頭に触れたタナカ氏がお好み焼きを焼く姿。
なんということのない写真ですが、この1枚を撮ったという記憶が濃く残っていました。その理由をいま自分なりに考えてみると『この惨状の中、何かプラスを与えたい』という彼の姿勢が私の心に残っていたからだと考えています。
ハンバーガーの中にお好み焼きを入れるなんて他愛のないことですし、ドムドムバーガーのメニューにあるし、普通のハンバーガーでいいことです。でも、お好み焼きを焼いている様子を見た地域の方や集まった子供達が「何してるの?」「なんでお好み焼き焼いてるの?」「ハンバーガーに入れるなんて変なの!」と楽しそうにしていました。ちょっとしたプラスが感情を動かすキッカケを与えていたことは間違いありません。この惨状のなか生きている方々の感情をほんの少しでもプラスに動かすことは大切なことです。
被災地支援を精力的に行っているRaccoさんと一緒に。
あるべき記事構成としてはお好み焼きハンバーガーを食べた感想などを書くべきなのですが、当時の私はどうにも食事を取る気分になれなかったのを思い出します。
多くの方々が集まる光景を見て、1つ1つの活動がこのような”つながり”を生み出すことは本当に大事だと感じました。
調理手伝い以外にも駐車場への誘導案内や、
コーヒー豆を挽く手伝い、
子供たちにサインをプレゼントするなど限られた時間で目一杯活動するタナカ氏。
そこには普段のライブで生み出される“つながり”とは違った“つながり”がありました。
サポウィズ等を通じて支援をしてくださる皆様の力が、このように各地で力になっています。MWAMを通じてではなくても支援に力を提供している方々には頭が下がります。
軽い気持ちで書き出した本文ですが、書いているうちに色々と当日のことがフラッシュバックし、いつもの記事とは違う毛色の文章になってしまい申し訳ございません。ショックな光景を目にしたことで生まれた苦しい感情を無意識のうちに記憶の奥に隠してしまっていたのだと思います。
しかし“私はショックを受けました”と感傷にひたって行動を止めてしまうのは、この時の体験を無駄にすることになります。「自分のできることをできる範囲で」という言葉を今一度考えたい。
最後にMWAMの被災地支援への取り組みに賛同し、支援してくださっている方々に改めて感謝申し上げ、結びとさせていただきます。
※ちなみに、このあとタナカ氏は岡山から熊本へ移動し、翌日28日の南阿蘇大復興祭に参加。29日は島根県松江でLIVEという強行スケジュールをこなしていったのですが、それは究極の生命体だからできたことで「自分のできることをできる範囲で」という言葉にはおそらく当てはまらないと思われます。我々人間は等身大で「自分のできることをできる範囲で」という言葉を考えることが大切だと思います。
おわり